裁量労働制をめぐる厚生労働省調査の問題点とリサーチャーの責務

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リサーチャーコラム

2018/3/22(木)

2018年2月、裁量労働制に関する厚生労働省の不適切な調査データが明らかになった。この問題は、調査や統計の品質をいかに維持するかという視点から見れば示唆に富む内容を含んでいる。なぜこのようなことが起こったのか、何が問題だったのか、調査の設計、実査、集計、報告というプロセスに沿って考察してみたい。

裁量労働制をめぐる厚生労働省調査の問題点

1. 予告無しの訪問で正確に回答できたのか

問題となった「労働時間等総合実態調査」は全国11,575事業所を対象に2015年に実施、全国の労働基準監督官が事業所を訪問して聞き取りが行われた。

監督業務に付随した業務で、労基法違反であれば是正勧告も行なわれる。予告なしに訪問するので労務管理資料などの準備はできず、あいまいな回答しかできない事業所も多かったのではないか。本来ならば単独の実態調査として企画し、対象事業所には事前に調査依頼をした上でデータをあらかじめ用意してもらう方が望ましい。

労働基準監督署のイメージ

※写真はイメージです

2. 監督官への説明は十分になされたか

聞き取り調査においてはインタビュアーが調査内容を同水準で理解していることが品質担保に不可欠だ。民間調査会社に委託し専門調査員が聞き取りを行う場合はインストラクションが行われるが、この調査では全国320の労働基準監督署それぞれで、マニュアルなどによる個別の指示・説明が中心だったと推測される。不適切とされた記入をみると初歩的なミスが多いように見受けられ、監督官のスキルや理解度にばらつきがあったとも考えられる。

3. 労働時間の聞き方は適切であったか

事業所調査では、企業側で管理しているデータ形式と質問で求められるデータ項目が異なることは珍しくない。残業時間に関する質問は、従業員平均ではなく月間残業時間が「最長の者」と「平均的な者」を具体的に想定した上で1日、1週の「最長労働時間数」を聞くなど複雑で勘違いやミスを招きやすい。また裁量労働者には残業時間という概念はないので実労働時間を聞いているが、一般労働者についても同じ実労働時間の項目を入れることではじめて比較可能になる。

4. データクリーニングは行われたのか

記入済み調査票のデータ入力は外部に委託するのが一般的で、今回も外部の入力専門会社に発注されている。その際「オフコードチェック」(入ってはいけない数字のチェック)や「ロジカルチェック」(矛盾する数字のチェック)をまずは原票の目視で、入力後はプログラムでもチェックするのが常識だ。多くの異常値が発見されたことで、委託先が適切なデータクリーニングを行っていなかったように考えられるが、チェックの指示と確認は発注側に責任がある。

5. 集計段階で異常に気づけたのではないか

労働時間の質問は□□時間□□分と具体的な数字で記入され、平均値もその数字で算出されていた。集計表では1~2時間ごとの区切りを作って各カテゴリに含まれる回答比率分布がわかるが、そこからおかしなデータに気づくことはできたはずである。残業時間の質問なのに、勘違いして法定労働+残業時間を回答しているケースがあったが、これは8時間以上のカテゴリに入る事業所の比率が増えていることから容易にチェックできた。数量値の集計は平均以上に分布が重要だ。

6. 集計結果の見せ方が誤解を生んだのではないか

今回の最大の問題は、違う質問による「比較できないものを比較していた」という点にある。厚労省の審議会に公開された資料の集計表には、質問文の記載も「平均的な者」の定義もなかった。問題が指摘された当初には、労働時間を数量値で聞いたのか時間を区切ったカテゴリから選ぶ方法だったのかも明らかにされなかった。報告書には、結果の数字だけではなく質問文や平均値の集計方法などテクニカルな説明の記載がなければチェックすることもできない。

7. 原票管理意識が希薄ではないか

調査票の原票について、厚労省は当初「なくなった」「ロッカーを探したけど見つからない」などと説明していた。あきれた調査関係者も多かっただろう。国勢調査などでは調査員が調査票を何枚か紛失しただけでも報道されるくらいだ。追求を受けて、段ボール32箱分が倉庫から「発見」され、積み上げた原票が報道されたのも望ましくない。このような調査は実施側が原票を厳密に管理して、第三者の目に触れないことを約束しているからこそ成り立つものである。

調査品質を守るためにリサーチャーが考えるべきこと

以上の指摘は、訪問面接調査の経験豊富なリサーチャーであれば基本ともいえる内容だ。今回、安倍首相が「働き方改革」法案推進のためにデータを引用し世間の注目を集めたことで、調査手法が検証されたという経緯がある。官公庁や自治体の調査は現在でも訪問面接や郵送など紙の調査票で実施されるケースが多く、同様の問題が隠れている可能性もある。公的調査を利用する場合には、公開されている資料から調査仕様や業務フローもあわせて確認して欲しい。

なおこの調査に関する資料はいまだ厚生労働省から公式に発表されていない。政策立案のために実施される国の調査や統計は国民の共有財産であり、研究機関や大学などを対象にローデータの提供を積極的に行うべきだろう。第三者のチェックがあればより正確で価値ある分析が可能になる。別の調査では裁量労働制は残業時間を増やすという分析もあるという。政策や主張に沿ったデータをつい使いたくなるものではあるが、思い込みやバイアスの危険性は常に意識しておかなくてはならない。

調査業界にもできることはある。多くの調査会社は入札などを通して公的調査を受託し、組織やリサーチャー個人に実査や集計のノウハウを蓄積し伝承してきた。官公庁の入札には細かい仕様が指定されているのが一般的であるが、現実の調査環境に合わないものも出てきている。ネットリサーチが普及し、こうした業務経験の機会が少なくなっている今こそ、経験を積んだベテランリサーチャーが中心となり、時代にあった公的調査のあり方を提案、変革していくことが必要だろう。

参考:厚生労働省「労働時間等総合実態調査」(2013) 検証用データ(田中重人氏による) http://tsigeto.info/mhlwdata/

著者の紹介

萩原雅之

萩原 雅之

マクロミル総合研究所 所長
トランスコスモス・アナリティクス株式会社 取締役フェロー
1961年生まれ。日経リサーチ、リクルートリサーチを経て、1999年よりネットレイティングス(現ニールセンデジタル)代表取締役社長を10年間務める。2012年より青山ビジネススクール、2015年より早稲田大学ビジネススクール非常勤講師(マーケティングリサーチ)。日本世論調査協会個人会員。著書に『次世代マーケティングリサーチ』(2011年)など。

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